飽きる

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飽きる。。。
わたしにとって、 この 感情というか、現象に悩まされることは
しばしば・・・。
であるはずなのに、
自分で “ 本当に反省してるのか?? ” といえば
はなはだ疑問ですらある。。。(汗)
このブログにしかり。。。
飽きずに、やろう!
と、思えば思うほど、
人は飽きる時がくる。。。。
一体、
飽きる
とは、なんなのか?
皆さんの中でも、同じ想いの方は
きっと、多いのではないでしょうか?
ちょっと、
飽きる
という現象を違う視点から長めてみたくなりました。。。

人には飽きるという感情というか、現象がある。
飽きずに物事をやり通したいと、強く考えてはじめてみても途中で飽きてしまい、
投げ出すもの。続けるつもりではなかったが、途中から面白くなり、続けてしまうもの。
何事も好きなら続き、
嫌いならば続かないといったように
単純なものでもないような気がします。
飽きるということについて、
自分自身を分析しきれたら 「自分を知る」 ということに
つながるような気もします。
また、ここに自分という性質やクセなど、
自分が知りたい、自分というもののすべての要素
が詰まっている気がします。
ただ、いくら考えてわかったところで、
人には飽きるもの、飽きないものがある。
松尾芭蕉が、ある人に俳句上達の秘訣を聞かれて、
「 過去の自分に飽きることだ 」 とこたえています。
なんだか、格好イイですよね。。。
basyou
要するに過去にどんなに優れた俳句を詠んだとしても、
そんなものに固執しても仕方ない、というのです。
人は、自分の過去の成功に対して愛着を持つ。

過去の自分をさっぱりと捨て去って、
新しいものに挑戦する勇気はなかなか湧かないものです。
俳句の世界において、芭蕉は、その作風を、年とともに変化させていった。
初期の芭蕉は、師の作風を真似て、
わりと軽やかで、さっぱりとした句を詠んでいました。

『 歳は人に、とらせて、いつも、若エビス 』

(正月を迎えると、人は年々歳をとって行くのに、正月にやってくる若エビスの面をつけたエビス様は、
人に歳をとらせているためか、いつも若いままだね…)
芭蕉も、最初は、こんなユーモアに富んだ、おもしろい句を詠んでいた。
遊び心でつくった句なのだろうが、 人生の本質をついている 気がします。
歳をとってやがては死を迎える自分という人間と、
人の心にあるエビス様という神様は、人間がこの世に生存する限り、永遠に生き続ける存在。
生身の人間と神様との対比は、世の中が、どんなに変化しても、
絶対に変わらない本質とどんどん変化していく時代の流れを比べている。
自然や神は、永遠にそこに存在する。
流行とは、どんどん変化していく時代の流れ。
人間という存在そのものが、
死という宿命をもって生きている限り、
流行そのものなのかもしれない。。。
万物も人も変化し流れていくからこそおもしろいのかもしれない。
芭蕉は、何度も自分の作風を変えながら、人生や自然を深くとらえながら、
それでいて重苦しさのない 「軽み」 という境地に到達する。
芭蕉の最高傑作と言われる 「奥の細道」 の句に、次のような有名な句があります。
『 夏草や、強者どもが、夢の跡 』
(その昔、ここには奥州の覇者藤原秀衡がいて、天才源義経が住んでいた。
しかし彼らと彼らの作り上げた奥州文化というものは、頼朝という人物によって
根こそぎ滅ぼされてしまったのだ…。私の敬愛する西行もこの地を愛し、何度も
この地をたずねてきたいという。その場所に、いま自分も、やっとたどり着いた。
だがしかしかつての栄華は、見る影もなく、今は夏草が生い茂っているだけだ。)
芭蕉がこの句にたどり着くためには、自分の人生のすべてをかけた
すさまじい精神の格闘があったのではないでしょうか。
しかし句の中には、苦しんだり、悲しんだりした
人生の汚れというものが、まったく感じられない。

通常、人間の感性というものは、歳を重ねる度に、衰えていくものである。
しかし芭蕉の感受性というものは、まったく衰えていない。
いや衰えていないどころか、深まっている。
芭蕉は、俳句を詠むときには、魚をまな板で、すぱっとさばくように思いっきりよく、
また「三歳の子」の気持ちで、純朴にストレートに詠め、と言っています。
飽きるということを否定せずに、
受け止めてしまえばよいのかもしれない。

「自分に飽きる」 とは
過去の自分に固執しないで、
未来の自分に期待することなのかもしれません。

こう考えれば、 飽きる ということも
人にとって、とても 大切な現象 なのかも。。。とも、
想えてしまうので不思議です。

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